CO2による「再放射」の量子収率

光熱分光法を用いた無放射緩和過程の測定

分子の励起状態の研究には、分子の吸収・発光過程を利用した吸収分光法や発光分光法などが用いられ、過渡吸収分光法や時間分解蛍光分光法などにより、励起状態のダイナミクスが解き明かされてきた。さらに、放射を伴わない失活過程である無放射緩和過程の研究に対しては、より直接的に放熱過程を追跡するために、光熱分光法が有力な手法として用いられてきた。


光熱分光法には、光音響分光法(Photoacoustic spectroscopy: PAS)や、過渡回折格子法(transient grating: TG)、熱レンズ分光法(thermal lens: TL)などがある。 その中でも、今回、光熱分光法の一種である光音響分光法(PAS)を用いて、N2やO2によるCO2の変角振動励起状態における緩和速度の決定が行われている文献を見つけることができたので、それをもとに放射の量子収率の見積もりを行った。


光音響効果
光音響効果とは、光を吸収した分子が熱を放出し、その熱による体積膨張により音響波(疎密波)を発生する現象のことである。その音響波を圧電素子などにより検出することで、無放射緩和過程について詳細に調べることができる。たとえば、速い無放射緩和過程の割合(量子収率)が大きければ、それだけ信号も大きくなる。また、信号の遅れからデコンボリューション解析などを用いれば、無放射緩和速度を求めることもできる。  


大気中におけるCO2の放射の量子収率

温室効果モデルでは、大気中の温室効果ガスの再放射により下向きの赤外放射フラックスが増え、地表が温められているとの説明がよくなされているが、そこに私は大きな疑問を持っている。大気中の温室効果ガスが、再放射を果たしてどのくらいの割合で行っているのか、詳しく検討する必要があるのではないだろうか。


そこで次に示す文献には、「光音響効果」を用いてCO2の15μmの吸収ピークに相当する変角振動の緩和速度が決定されているので、その値を用いて大気中におけるCO2の赤外発光の量子収率について見積もってみたいと思う。


Vibrational relaxation in CO2-N2 and CO2-O2 mixtures is studied via the optic-acoustic effect.

The relaxation of the bending vibration of CO2 by N2 and O2 can be explained by a simple one-step relaxation. For CO2-N2 a relaxation time of 12.8 ± 1.5 μs atm is obtained, for CO2-O2 8.8 ± 0.3 μs atm.


Vibrational relaxation of CO2 in CO2-N2 and CO2-O2 mixtures, F. Cannemeyer and A. E. De Vries, Physica, 74, 1, 196-204(1974)


上記文献によると、CO2の変角振動の緩和寿命の値は、N2によるものが、12.8±1.5μs atm、一方、O2によるものが、8.8±0.3μs atmと、それぞれ決定されている。これらの寿命を逆数にしたものが、緩和の速度定数となる。
たとえば、N2による緩和速度定数は、


τN2-1 = 1/(12.8μs atm) = 7.8×104(s-1 atm-1)


O2による緩和速度定数は、


τO2-1 = 1/(8.8μs atm) = 1.1×105(s-1 atm-1)


と、それぞれ求まる。
それらの値を用いて大気中のCO2の緩和の速度定数(k)の見積もりを行うと、


k = 7.8×104(s-1 atm-1)*(0.78atm) + 1.1×105(s-1 atm-1)*(0.2095atm)


k = 8.4×104(s-1)


となる。緩和の速度定数は、自然放射の速度定数と、無放射緩和の速度定数の和で表すこともできる。


k = kr + knr  


一方、自然放射寿命(τr)は、吸収断面積(20.2m2/mol)から、


τr = (109 / 4)× (1.5 λ02 / σ) =1.5×109×(15×10-6)2/(4×20.2) = 0.0042


となる。そして、自然放射の速度定数(kr)は、自然放射寿命(τr)の逆数で表される。


kr = 1/τr = 1 / 0.0042



kr  = 2.38×102(s-1) 


この自然放射の速度定数はアインシュタインのA係数に等しい。さらに吸収断面積からはアインシュタインのB係数が求められる。また、アインシュタインのA係数とアインシュタインのB係数は比例関係にあるため、吸収断面積が分かれば自然放射の速度定数を求めることができる(「温室効果ガスの分光学」も合わせて参照されたい)。


ここで、放射の量子収率(Φr)は各緩和過程の速度定数を用いて求めることができる。


Φr = kr / (kr + knr)   


したがって、放射の量子収率(Φr)は、


Φr = kr / (kr + knr)  = 2.38×102 / 8.4×104


Φr = 0.0028


と求められた。この結果、CO2の変角振動励起状態からの赤外発光過程である「再放射」の割合は、約0.3%と非常に低い値であることがわかった。残りの99.7%は分子衝突に伴う分子間エネルギー移動などによって無放射緩和過程を経て失活するものと考えられる。つまり、CO2の振動励起状態は放射を伴わずに失活する割合の方がはるかに高い。移動した励起エネルギーは、他の分子の振動、回転、並進運動などに分配され、さらに分子内モード分配などの緩和が起こる。ボルツマン分布に従えば、最終的に大部分の励起エネルギーは大気中の大半を占める窒素分子か酸素分子の回転あるいは並進運動エネルギーへ分配されることになるだろう。


この非常に小さな放射の量子収率の値は、高感度な検出システムが必要となることを意味している。しかも、大気中に含まれるCO2の割合は、わずか400ppm(0.04%)程度と、非常に微量である。これは、100万個に1個の割合で起こる微弱発光を観測することに相当する(0.04%×0.3% = 1.2 × 10-6)。おそらく、一般に市販されている放射温度計で大気中の温室効果ガスによる放射を測ることは非常に難しいことではないだろうか。たとえば、前にも「
再放射の可能性について」というエントリーで紹介したことだが、HORIBAの説明によると、

空気は、赤外線の放射エネルギー量が非常に小さい(放射率が小さい)ので、測定することはできません…(中略)…ところで、晴れた空に放射温度計を向けて測定するとどうなるのでしょうか?
この場合は、下限の測定レンジオーバーになります。
理由は、宇宙空間から放射される非常にわずかな赤外線エネルギー(一部は大気中で吸収されます)と大気層からのわずかな放射エネルギーを測定していることになるからです。

HORIBA : 放射温度計プラザ


大気中に含まれている水蒸気(H2O)や炭酸ガス(CO2)は、特定の波長の赤外線を強く吸収します。このため、大気中で全放射温度計による測定を行うと、被測定物の放射が正しく温度計に伝わらず、精度の高い温度測定は難しくなってしまいます。
しかし、8〜14μmの波長領域には、大気の影響による吸収はほとんどありません(図2)。したがって、この領域の波長を利用することによって、大気の影響を受けずに被測定物の温度を測定することができます。

HORIBA : 放射温度


と説明されており、むしろ、大気の吸収により、放射体の測定に支障をきたすとしている。放射温度計は水蒸気やCO2などによる吸収を避けるために、大気の窓領域を利用して測定を行ったりもするようだが、大気の窓領域において赤外発光を行う大気分子とは一体なんであろうか。それは、雲ないし、水蒸気による連続吸収帯からの発光ということになるのかもしれない。 


温暖化のモデルでは、放射平衡や放射強制力など、やたらと放射という言葉が出てくるが、そもそもCO2にとって放射過程は非常にマイナーな失活チャンネルである。大気は放射体というよりも、むしろ放射の吸収体である。雲など一部の物質を除いて大気の赤外発光を観測することは、実験室などで用いられるような高感度な検出システムでなければ容易なことではないだろう。このような微量な大気成分であるCO2のマイナーな再放射過程が気候に著しい影響を及ぼすとは非常に考えづらいことだ。大気から地表への伝熱過程において、CO2による再放射過程は、あくまでマイナーなエネルギーの散逸過程の一つに過ぎないのではないだろうか。 コメント
 ある体積のガスについて想定したときに、単色の吸収率=単色のふく射率という関係はいつも成立します。
 仮に二酸化炭素が赤外線を吸収だけして、同じ波長の赤外のふく射をしないガスなのであれば、マックスウェルの悪魔状態であり、エントロピーの法則に反する存在となってしまいます。
 再放射という言葉にこだわっているようですが、たんなるふく射と読み換えるべきでしょう。


2007/12/30 18:55| URL | SGW  [Edit]
分子間衝突による無放射緩和過程の寄与
SGWさん、こんにちは。
「輻射」という言葉は、最近では余り用いられなくなってきたので、私は「放射」と表記しています。また「再放射」という言葉については、地球のエネルギー収支の説明などで多用されており、それを強調したいときに用いています。たとえば、下記のサイトの図を見ると、「再放射(back radiation)」が、あたかも地表を暖めているかのような表記がなされております。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Keihl_and_Trenberth_%281997%29SunClimateSystem.JPG


私がCO2による赤外発光過程の量子収率を見積もったのは、対流圏程度の大気圧下においても、「分子間衝突による無放射緩和過程」の影響が非常に大きいのではないかということをなるべく定量的に議論したかったためです。


高エネルギー準位の遷移は、必然的に低エネルギー準位の再分配過程を引き起こします。一般的なエネルギーの散逸過程を考えれば、電磁波は種々の緩和過程を通して低エネルギーな電磁波や並進運動エネルギーなどの変換へと向かうことは極めて自然な流れだと思います。太陽放射に含まれる可視光が地表で赤外光へと変換されるのも同じ理屈です。


SGWさんの仰るとおり、等エネルギー的な発光過程も非常に少ないとは思いますが、私はその可能性を完全に排除しているわけではありません。しかし、等エネルギー的な電磁波の吸収・発光だけでは、いつまでたっても並進運動エネルギーへの分配は起こらず、大気温の昇温へとつながることはないと思います。

2008/01/01 09:54| URL | TheorySurgery  [Edit]
 Wikipediaのリンクで紹介いただいたその熱収支の図は、IPCC第4次報告書のWG1の本文にも掲載されていました。

 地球温暖化っていうのは地表面と海水面の温度の上昇を指すのであって、大気が暖まるというのはかなり限定された一部だけだと思います・・・。成層圏では少なくとも温度は下降しますよね。

 その意味の温室効果は、一回吸収された地表からの赤外線のエネルギーが、言わば方向性の記憶を持たずにすべての立体角方向に均等に放射されることで上方向に半分、下方向に半分エネルギーが向かうこと「だけ」で起こるというのが僕の理解なんですが。

大気の上層部から宇宙空間に放出されるエネルギー量が地表に向かう「再放射」分よりも小さいのは、大気が光学的には多層になっていて、下の層の平均気温が上側の層の平均気温よりも高いからでしょう。


2008/01/01 23:24| URL | SGW  [Edit]
無放射緩和過程の寄与の定式化
放射における分子衝突による消光過程の寄与について定式化を行いましたので、新しいエントリーを参考にしてください。

2008/01/02 13:36| URL | TheorySurgery  [Edit]
このエントリーは不勉強がはなはだしいですね。

>温暖化のモデルでは、放射平衡や放射強制力など、やたらと放射という言葉が出てくるが、そもそもCO2にとって放射過程は非常にマイナーな失活チャンネルである。

大気中にたとえどのようなプロセスであったとしても、大気へ入ってきたエネルギーの失活なんてありえない。大気が一度吸収したエネルギーはどんなに低温であろうとも、最終的には放射により宇宙空間に戻ります。その際に上向きだけでなく、下向きの放射も起こります。下向きの放射、これが「温室効果」です。

あとCO2が400ppm含まれている場合の大気の赤外線吸収量も計算されているようですが、実測値とあってませんね。実測は100mで73%ほどですよ。

2008/08/05 19:37| URL | 不勉強  [Edit]
エネルギーの質は劣化する
>>大気へ入ってきたエネルギーの失活なんてありえない


不勉強さん、こんにちは。残念ながら、エネルギーの質は劣化するのが、自然の流れ(エントロピーの法則)というものだと思います。無放射緩和過程の定義については、下記のサイトなどをご覧ください。


RADIATIONLESS TRANSITION
A transition between two states of a system without photon emission or absorption.
http://pages.unibas.ch/epa/glossary/R.htm


また、無放射遷移は非放射遷移 (nonradiative transition) という言い方もします(理化学辞典には非放射遷移という言葉で紹介されています)。
非放射遷移 ( ヒホウシャセンイ : nonradiative transition )
http://www.optronics.co.jp/lex/detail.php?id=7123


Glossary of Terms Used in Photochemistry
http://pages.unibas.ch/epa/glossary/glossary.htm
3rd Edition, S. E. Braslavsky
http://iupac.org/publications/pac/2007/pdf/7903x0293.pdf

2008/08/05 20:51| URL | TheorySurgery  [Edit]
単色光照射時における赤外吸収率
>>大気が一度吸収したエネルギーはどんなに低温であろうとも、最終的には放射により宇宙空間に戻ります。


仰るとおり、地球から宇宙への放熱は、基本的に放射によってしか行われないと思います。ただし、大気から宇宙へ放熱が行われる高度は対流圏ではなく、主に成層圏以上の高い高度で行われているのではないかと私は考えています(下記のエントリーを参考)。

各高度における放射収率
http://feliscatus.blog77.fc2.com/blog-entry-76.html


>>あとCO2が400ppm含まれている場合の大気の赤外線吸収量も計算されているようですが、実測値とあってませんね。実測は100mで73%ほどですよ。


CO2による『15μmの波長』における赤外吸収率を見積もった、こちらのエントリーのことでしょうか。
http://feliscatus.blog77.fc2.com/blog-entry-56.html
この98.4%という値は、5mの層を想定した場合の15μmの波長という単色光における値です。また、10mの層の場合は、99.98%と見積もりました。
http://feliscatus.web.fc2.com/spectra.html
ちなみに、100mの場合の吸収率は、(100−8.5×(10^-35))%となります。
吸収率=100×(1−10^(-36.07))


一方、100mで73%という値は、Jack Barrettにより見積もられた288Kの黒体放射を想定した『地球放射スペクトル』に対する水蒸気やCO2を含む主要な温室効果ガスによる総吸収率のことではないでしょうか。これは放射スペクトルの全波長領域に対する値です。
http://www.warwickhughes.com/papers/barrett_ee05.pdf
http://feliscatus.web.fc2.com/estimate.html

2008/08/06 00:14| URL | TheorySurgery  [Edit]
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