『イデオロギーというのは要するに絶対正義だから、誰が一番「真理」に近いことを言っているかという権力争いが起きる。結果は分裂、悪くすれば内ゲバになる。イデオロギーとは、決して人間解放のための思想ではなく、政治、宗教に続いて人類が創り出した、第3の権力ゲームに過ぎない。』(
哲学と科学より引用)
ルイセンコ学説1934年、ソ連の農学者ルイセンコは、環境の操作により、植物の遺伝性を後天的に変化させうることを発表した。このルイセンコの学説は、スターリン政権下で「マルクス・レーニン主義の弁証法的唯物論を証明するものだ」とされ、メンデルの遺伝学はブルジョア理論として否定された。
ルイセンコは低温処理によって、春まき小麦が秋まきに、秋まき小麦が春まきに変わることを発見したとされている。ソルジェニーツィンは『収容所群島』の中でルイセンコの農政上の失敗について次のように述べている。
「1934年、プスコフの農業技師たちは雪の上に麻の種子をまいた。ルイセンコの命じたとおり正確にやったのだ。種子は水分を吸収してふくれ、カビが生えだし、すべて駄目になってしまった。広い耕地が一年間も空地のままにおかれた。ルイセンコは雪が富農だと非難することも、自分が馬鹿だとも言うわけにもいかなかった。彼は農業技師たちが富農で、彼の技術を歪曲したと非難した。こうして農業技師たちはシベリア行きとなった」
ルイセンコの学説は、環境因子が形質の変化を引き起こし、その獲得形質が遺伝するというものだ。これと類似した主張はフェミニストによってもなされている。例えば、小倉千加子(『セックス神話解体新書』)や上野千鶴子(「性差の社会学」)は、ジョン・マネーの説を例に挙げ「性別などというものは事後的に変えられる」と主張している。
ジョン・マネーの学説性科学者で心理学者でもあるジョン・マネーは、割礼中の事故によりペニスが焼ききられた幼子に性転換手術を行った。アメリカではつい最近まで、衛生目的として割礼が頻繁に行われてきたようだ。この幼子は双子の兄弟だったために、比較対象をもった実験例として好都合でもあったのだ。
この性転換手術を受けた男の子はブレンダと名づけられ、女児として育てられた。マネーはこの性転換手術を成功例として、1975年に学術誌に報告し、世間の注目を集めた。マネーは「性別を自己認識する要因は先天性(遺伝子)ではなく、後天性である」という自説の証明のために人体実験を行い、見事、名声を勝ち得たかに見えた。
ところがマネーの結論に懐疑的なダイアモンドは、マネーの論文に登場する匿名のこの患者を独自に追跡調査し、ブレンダが14歳の時に自分の過去について真実を知り、その翌年以来デイヴィッドという男性として生活していたことを解明、1997年に医学誌で発表する。
そしてそのことを報道で知ったジョン・コラピントは、デイヴィッドにインタビューし、2000年に「ブレンダと呼ばれた少年」(As Nature Made Him)を出版した。このコランピトの本により、ようやくマネーによる実験の失敗とその隠蔽が世間の明るみに出されることになった。
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Amazon.co.jp: ブレンダと呼ばれた少年)
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嘘から始まったジェンダーフリー)
マーガレット・ミードの学説性差環境起因説は、文化人類学の分野にも存在する。文化人類学者のマーガレット・ミードは、「gender」という用語を「社会的・文化的性」という意味で用い、ジェンダー研究を行った先駆者とされている。1928年に、彼女はサモア諸島におけるフィールドワークによって、サモアでは競争も抑圧もなく性が解放されているがゆえに青年期のストレスや葛藤がないということを『サモアの思春期』(Coming of Age in Samoa)という本にまとめた。
しかし、このミードのサモア研究に対しては、1983年に、デレク・フリーマンによって『マーガレットミードとサモア』(Margaret Mead and Samoa)の中で、徹底した批判が行われている。その他にも、ミードの研究には問題点が多く、今日では、ミードの研究はデタラメだらけであることがわかっている。しかし、日本の女性学や文化人類学などの分野では、フェミニストを筆頭に、いまだに、マネーやミードの学説をもとにしたトンデモ学説を吹聴しているものが少なからずいるようだ。
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ミードの幻想(サモア編))
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ミードは完全に否定されている!)
知的誠実さを欠いたフェミニストネイチャー(nature、生まれ)とナーチャー(nurture、育ち)は両方とも重要であり、どちらか片方に偏った考えは、しばし極論となり悲劇を招く。ネイチャーに偏れば優生思想になる。一方、育ちに偏れば(氏より育ち)、人の性でさえ環境によって簡単に変えられると錯覚させ、ジェンダーフリー運動など日本のフェミニストのおかしな行動に駆り立てる原動力にもなりうる。日本のフェミニストは、目的のためには手段を選ばない。例え、反駁された学説でも、悪びれもせずに堂々と主張する。イデオロギーによって強迫観念をまとったフェミニストに、学問に対する知的誠実さは、望むべきもないのだろう。
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ジェンダーフリーの検閲思想)
プロパガンダとしての女性解放共産主義ソ連は女性解放を唱え、一方、ナチスは家庭へ戻れと母性を訴えた。この開放と抑圧は、一見、両極端にあるように見える。しかし、いずれも、独裁者が女性からの支持を得るための宣伝でしかなかった。
ナチスは、非政治的な私空間に閉じ込められていた多くの女性に対して、ナチ婦人団などのナチ党の大衆組織によって、政治的空間で主体的活動による「開放感」を演出した。権威主義的な家庭に閉じ込められていた少女たちも、ヒトラー・ユーゲントと同じように野外での合宿生活で自由を体感した。ソビエト帝国も第三帝国も、その大衆動員には、女性の支持を得るために、女性に対し「開放感」を演出せねばならない。
日本では創価学会の婦人部による池田大作に対する熱狂的な応援を思い出す人もいるだろう。小泉前首相も女性を積極的に閣僚に登用し、大衆心理を巧みに掌握した。一方、柳沢大臣は産む機械発言でフェミニストから、ヒステリックなまでの言論弾圧的な糾弾を受けている。
フェミニストは産む女性に対して抑圧的なイメージを持っているため、産む女性や専業主婦に対して激しい非難を浴びせる。産む女性に対しては、手厚い十分な施策が必要なのはいうまでもない。共働きにしても、男性と同じような仕事によって生理不順を起こしたり、めまいや頭痛を訴えることもあるだろう。母体保護のためには、フェミナチの一掃が必要だ。
ファシズムを内包するサニタリズム:衛生学から優生学へファシズムは、その成立期において、健康や福祉そして衛生観念といったものを極めて重視した。そして、スポーツも推奨している。ナチスは、反ユダヤキャンペーンとして、ユダヤ人は不潔で汚い、不衛生なものだと喧伝している。日本でも女性専用車両などが導入され、世の男性全てを犯罪者として見なし、まるで、ユダヤ人や黒人を差別するかのように扱うのだから、フェミナチ車両などと呼ばれるのも決して言い過ぎな事ではないだろう。
テレビでも凶悪事件が増えているだのと煽り、町のあちこちで監視カメラなどを増設しているが、統計的なデータと体感治安には相当の乖離が見られる。身の回りを見渡して見ても、きわめて潔癖主義的な風潮がまかり通っている。なんでもかんでも抗菌加工であり、健康や美容、ダイエットなども、強迫観念に追われすぎなとこもあるのだろう。特定保険用食品(トクホ)やプロバイオティクスなど、健康を意識した差別化も盛んに行われている。それらを煽るのは、マスメディアの役目だ。
最近では、メタボリック・シンドロームなど、健康に対する不安を煽るのが常態と化している。厚生労働省の推計によると、40歳以上の男性の半数近くが、メタボリック・シンドロームに該当するそうだ。また、高脂血症に対しては、閉経後の女性はコレステロールが上がるために、多くの女性が病気とみなされてしまう。性差や年齢を考えずに、一律な基準を設けているが、これからは性差医療などは欠かせない研究になるだろう。(
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ハーメルンの笛吹き男と現代メディアの病理現代のメディアやイデオロギーといったものは、まるでハーメルンの笛吹き男のように人々を奈落の底へといざなう扇動者のように振舞う。マスコミとは、オオカミ少年がほら吹き男爵へと成長した姿なのだろう。恐怖を煽って人を従わせる方法は、アメリカの社会学者バリー・グラスナーにより「恐怖の文化」として研究されている。メディアは常に恐怖を煽り、物を買わせたり、政治に利用したりするのだ。ナチスのファシズムがなぜ当時最も進んでいたといわれた民主主義国家で起きたのか。なぜ、アメリカはテロに臆病にならざるをえないのか。
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アメリカは恐怖に踊る (バリー・グラスナー著))
内からは見えないことも、外からはよく見えることもある。日本人でも、日本の中にいては、日本の危機に気づかずに、その組織の論理を絶対化してしまう癖があるだろう。民主主義とは理想の制度でもなんでもない。他の制度と同じく、絶えず注意をもって、よくよく気をつけ警戒を怠らないことが必要なんだろう。
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