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社会科学に潜む疑似科学と科学の行方を思索するNipponeseのブログ。
「コントやミルが……、進歩は無条件的あるいは絶対的な趨勢であり、その趨勢は人間性の諸法則に還元しうる、という(間違った)主張(をした)」
[マンドヴィル「蜂の寓話」(訳者・上田辰之助による解説)]「それは十八世紀初頭のイギリスでは、まだいっさいの欲望を悪徳として警戒していたキリスト教論理の余勢が社会の一部に残っていたことを物語るものである。しかもその論理がすでに経済時代の要求との間にいちじるしい食い違いを生じて、形式は別として実質のうえでは立場を失っていたところに『蜂の寓話』の訴えがあったと見なければならない」(98頁)
[マンドヴィル「蜂の寓話」(訳者・上田辰之助による解説)]「清教徒の職業観は必ずしもヴェーバーの主張するように、予定の教理との結合によって独善的とさえみえる狭隘な財富中心主義に導いたと断言することは困難である。したがって、諸宗派の清教徒の経済思想を無差別に予定の教理に関係させて、これを資本主義精神の酵母とみなすのは無理のように思われる」(125頁)
科学の終焉(おわり) (文庫) ジョン ホーガン (著)『社会学を説明することは、ちょうどナイアガラの滝の中へ落ちた水の分子の一つ行方を、科学の力を借りて探るのと同じようなものだ。それはできない相談だろう。しかし、原理的に不可能だと言っているわけではない。ただ、とっても複雑だと言っているんだ』
『80年以上も前に社会学者のジンメルはこう記しています。社会学は川の流れを見る学問であり、水滴はどうでもいい』
『社会に問題がないと、社会学は存在価値を失います。ですから社会学者は自分で問題を捏造し、それを分析、処方箋まで書いてしまいます。古株の新聞記者ならこれを、マッチポンプと呼ぶでしょう。』
『社会学者の個人的な偏見をヘリクツで理論化したもの、それが社会学です。 』
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