哲学における科学の誤用
(田中美知太郎)『ギリシャの哲学者は難解な言語を忌避し、日常誰でも使っている平易な言葉を使った』
人文・社会科学の分野では、数学や物理学の概念や用語の誤用・濫用は決して珍しいことではない。物理学者のアラン・ソーカルは、そのような現状を揶揄するために、ポストモダンの哲学者や社会学者達の言葉をそのまま引用し、さらにそこへ数式や科学用語をちりばめた出鱈目の哲学論文を執筆した。
そして、当時最も権威があると目された雑誌の一つ「ソーシャル・テキスト」誌に投稿し、見事掲載された。雑誌の審査員はソーカルの出鱈目をまったく見抜くことが出来なかったようだ。これは後に「ソーカル事件」と呼ばれるようになった。ソーカルは読者を煙に巻くために安易に数式や科学用語を用いている哲学者の欺瞞を見事暴いて見せた。
「パリ症候群」という言葉がある。日本人、特に若い女性にとってフランスは憧れにも近いイメージを持つ人も多いのだろう。しかし、いざ住むとなると、その余りにも日本の文化との違いに鬱になる人も少なくないようだ。ポストモダン思想も、そんなイメージを売りにしたフランスの伝統的な商法に基づいているのかもしれない。
思想の世界は「イメージ」に基づく権威主義が蔓延っている。我々は衒学趣味に嵌っていると見られるスノッブな学者には特に注意しなければならない。彼らは饒舌な言葉遊びで人々を幻惑させるのに長けている。
水木しげる用語によると、大して世の益にならないようなことをしていながら莫大な収入を得る人を「スター」と呼ぶ。私はそれらの産業を総称してイメージ産業と呼ぶことにしている。イメージとはったりで世渡りをする人はヤクザだけではないのだ。インテリ・ヤクザは聞いたことあるが、ヤクザなインテリとでも呼ぶべき人種(アイドル学者・御用学者)がいるのは確かだろう。レトリックや雄弁術は政治の世界だけで結構。
きみはソーカル事件を知っているか?
教養主義の没落
日本でも、ポストモダンの申し子とも言われる中沢新一などは、ラカンのように数学を誤用するタイプの学者に近いのだろう。永井俊哉は、自然科学の手法を追随しようとする社会科学者についてこう述べている。
複雑系としての社会システム『一般的に言って、社会科学は自然科学より厳密性を欠くので、社会科学者は自然科学にコンプレックスを感じている。その結果、自然科学の新しいパラダイムが現れると、それに追従しようとする社会科学者が必ず現れる。』
社会学者の宮台真司も、自分の学問は「数理科学」に基づいているのだという。
Freezing Pointより『私(宮台氏)の学問的な出発点は、チョムスキーの言語学と、フォン・ノイマンのゲーム理論がある。 つまり「数理科学」であって、数学的な手続きを理解できる人全員に開かれている。 そういう学問の重要性はよく分かっている。』
ポストモダン思想は終わったのか?より引用
『思想が、社会や人間存在について本質的な理論の構築を行なうこと自体を、真理主義や普遍主義であるとして放棄してしまった。それはちょうど、「内的な自由」の精神をはじめて自覚した青年が、しばしば、現実社会それ自体を“汚れた”ものとみなして否定し、自らが出発すべき前提条件として受け容れることができない場合とよく似ている。まさしくこの理由で、東西対立が終焉し、世界が、現実の矛盾を克服するための新しい社会構想を強く必要としはじめたとき、ポストモダン思想はその創造力を決定的に喪失したのである。
ポストモダン思想は、古典的な絶対的「正しさ」の観念を相対化し、現代社会の「内的な自由」の精神の核心をよく表現したという点で、きわめて大きな存在意義をもっていた。しかし、われわれはいま、それが現代の批判思想として挫折している本質的な理由をよく理解する必要がある。その多様な側面をさまざまにつなぎ合わせて何か新しい思想を生み出せるかも知れないと考える人も多いが、それは空しい錬金術にすぎない。』
『嘘を嘘と見抜けないと(掲示板を使うのは)難しい』
西村博之(ひろゆき)[2ちゃんねるの管理人]

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