分光学者たちの温暖化懐疑論
【お知らせ】マスコミに踊らされないためのホームページ開設温暖化の問題に対するマスコミの伝える情報は必ずしも事実に基づいているわけではなく、偏った情報や、やたらとセンセーショナルなものが目立つ。そこで実際のところを知りたい人のために温暖化論を学ぶための資料を中心として入門者用のホームページを作った。
「マスコミに踊らされないための地球温暖化論入門」
上に記したホームページに紹介してある資料はマスコミが伝える情報と余りにも違うので違和感を感じる人も多いと思うが、いかにマスコミが本当のことを伝えていなかったということがよく分かるのではないかと思う。マスコミが垂れ流す「CO2悪玉説の神話」を信じることによって、善悪二元論による排除の論理に陥り「魔女狩り」や「エコファシズム」あるいは「温暖化対策としての安易な原発の推進」などといった方向へ傾いていくことは非常に危険なことだと思う。
分光学者たちの温暖化懐疑論
私は分光学を専攻していたので、分光学の視点から温暖化懐疑論を展開してきた(私が懐疑論者である理由 (地球温暖化論))。私の懐疑論者としてのアンテナは、どうしても分光学や光化学などの関係者の意見が気になるようだ。
「現代化学」の8月号(No. 437)を何気に手にとって見ると、そこには地球温暖化現象に学ぶ物理化学の基礎」という記事が掲載されていた。この記事は量子光化学を専門とする中田宗隆氏によって書かれたものだ。そこで中田氏は酸化による熱エネルギーとCO2が吸収する赤外線のエネルギーを比べている。
C + O2 → CO2 ΔH = -393.5kJ
CO2の代表的な吸収エネルギーを670cm-1とすると、
E=NAhν=8.0kJ
このように、CO2の排出時において燃焼で得られる反応熱の方が桁違いに大きい。中田氏は、「温室の中にドライアイスを置いて二酸化炭素を増やしただけでは、温室の温度は下がることはあっても上昇することはほとんどない」と指摘し、「疑問2 どうして、熱よりも二酸化炭素が温暖化現象の原因として注目されるのだろうか?」と読者に疑問を投げかけている。科学に自信のある方は是非、答えてほしいものだ。ちなみに、もうひとつの疑問はなぜ水蒸気が、温室効果ガスとして注目されていないのかということだ。
分光学者で温暖化におけるCO2悪玉説に疑問を呈す声は他にも上がっている。たとえば「地球温暖化―埋まってきたジグソーパズル」という温暖化に懐疑的な本を記した伊藤公紀氏も光技術を用いた化学センサーの研究者だという。彼の著書は太陽活動による気候への影響を学ぶための簡易的なレビューとして用いることが出来るだろう。CO2にばかり目が行くことが多いが、太陽活動についてどれだけの人が知っているだろう。
データの改竄で消された太陽活動の影響
過去の気候変動を過小評価するためにデータが改竄されていたことが発覚したホッケースティック論争では、マウンダー極小期における小氷期による気候変動が著しく過小評価されていた。この時期は太陽黒点が極端に少ない時期とも一致し、気候における太陽活動の重要性を示すものであった。
しかし、太陽活動の気候への影響を無視したい人たちにとっては「不都合な真実」であったのだろう。ホッケースティック曲線のようなデータの改竄がこれ以外にないことを望む。アル・ゴアのように、改竄発覚後も、ホッケースティック曲線を使い続けた不届き物もいるが、これにはあきれるしかない。
私が懐疑論者である理由(分光学的な違和感の表明)
海外でも分光学者による温暖化に懐疑的な意見を聞くことが出来る。たとえば、Jack Barrettは分光学的な実験結果から、CO2温暖化仮説におけるいくつかの疑問点(たとえば吸収の重なり)を挙げている。私も彼の論文などを参考にしたりして、ホームページ上で、「温室効果ガスの分光学:励起状態ダイナミクス」、「水蒸気フィードバックと気候感度の妥当性」と称していくつか論じてみた。
私が温暖化に対して懐疑論者である理由は、上記のホームページにその一端を記した。温暖化主流派の方からたまにコメントをいただくが、私の返信としては、今のところ、上記に記したホームページ上で述べたことをできれば読んでもらってからご意見を承りたい。
また、温暖化主流派の人には、温暖化対策として原発の推進は賛成か否か、少なくとも明らかにする必要があるのではないかと私は思う。私は政治やイデオロギーなどの思惑抜きで、分光学的な違和感から懐疑論者になっていった。
しかし、温暖化対策を語る上で原発推進の是非の問題に触れずにいることは出来ないとも思っている。原発には何一つメリットがないからだ。それにもかかわらず無闇に温暖化対策として原発を増設すればよいという風潮が蔓延している。そのことを分かっていて温暖化対策を推進しているのか是非聞いてみたいものだ。
ああすればこうなる
無謬性の神話に包まれた科学久しぶりに「バカの壁」をパラパラとめくっていると、温暖化に対する官僚の態度で気になる記述があった。これを読むと科学を盲信することの危険性について官僚たちが全く考えていないことがよく分かる。ペットボトル行政の誤りなどに対しても、それを絶対に認めようとしないが、そこには組織の体質そのものに致命的な欠陥があるのかもしれない。
養老 孟司「バカの壁」より(改行は任意)
最近、私は林野庁と環境省の懇談会に出席しました。そこでは、日本が京都議定書を実行するにあたっての方策、予算を獲得して、林に手を入れていくこと等々が話し合われた。そこで出された答申の書き出しは、「CO2増加による地球温暖化によって次のようなことが起こる」となっていました。私は「これは"CO2増加によると推測される"という風に書き直してください」と注文をつけた。するとたちまち官僚から反論があった。「国際会議で世界の科学者の八割が、炭酸ガスが原因だと認めています」と言う。しかし、科学は多数決ではないのです。
「あなたがそう考えることが私は心配だ」と私は言いました。おそらく行政がこんなに大規模に一つの科学的推論を採用して、それに基づいて何かをする、というのはこれが初めてではないかと思う。その際に、後で実はその推論が間違っていたとなった時に、非常に問題が起こる可能性があるからです。
特に官庁と言うのは、一度何かを採択するとそれを頑として変えない性質を持っているところです。だから簡単に「科学的推論」を真理だと決め付けてしまうのは怖い。
…(中略)…
ただし、それは推論であって、真理ではない、ということが大切なのです。なぜこの点にこだわるかといえば、温暖化の問題の他にも、今後、行政に科学そのものが関わっていくことが多くなる可能性がある。その時に科学を絶対的なものだという風に盲信すると危ない結果を招く危険性があるのです。
付け加えれば、科学はイデオロギーでもありません。イデオロギーは常にその内部では100%ですが、科学がそうである必要はないのです。
科学妄信時代と疑似科学の隆盛
現代社会には、科学に対する無防備な信頼が形成される土壌がある。現代では科学的であることがものごとを決めるときの絶対的な判断基準になることが少なくない。しかし、科学を過信しずぎることは余りにも危険なことだ。科学は絶対の真理ではないのだから。むしろ、間違いを認めることこそが科学たるゆえんでもある。官僚や役人のように「無謬性の神話」など科学には必要ないのだ。
カール・ポパーは科学と疑似科学の線引きに反証可能性を提唱している。当たり前の事だが科学は間違えることもあるのだ。科学がおかした過ちは、優生学にルイセンコ学説、ノーベル賞を受賞したロボトミー手術など枚挙に暇がない。
私なりにポパーの哲学を解釈すると、科学はトライ・アンド・エラーによってなりたっているということだ。トライ・アンド・エラーは、ポパーの著書名『推測と反駁』からも見てとれるし、彼の提唱するピースミール社会工学にもその思想の一端をうかがうことが出来る。
科学を絶対的なものと信じたときから、それは宗教となり、イデオロギーとなる。科学は価値中立だが、宗教やイデオロギーは人の主観や価値判断といったもから決して自由にはなれない。だからこそ、宗教は人の主観や価値観を擁護するための砦ともなる。カルトに対して私は強い警戒感を抱くが、宗教自体を否定することはしない。しかし、政治が介入したり、絶対的なイデオロギーに転じてしまった科学は、早晩、疑似科学化し、災いを招くことになるだろう。
すでに温暖化対策と称してバイオマス燃料の開発を推し進めた結果、穀物価格が暴騰し、発展途上国の飢餓や貧困といった形でしわ寄せが出ている。温暖化の被害は途上国ほどひどくなるとも言われているが、彼らを救う気など全くなかったことがこの事例だけでもよくわかる。これでは今の温暖化対策は飢餓を加速させるためにやっているとしか思えない。
国策「コーンラッシュ」 あおりで穀物価格急騰 飢餓人口4億人増えるう予測も
バイオ燃料が地球にやさしいというのは大ウソ
温暖化対策を推進するものたちにとって、温暖化対策が与える負の側面については余りにも無頓着過ぎはしないだろうか。コペンハーゲン合意のような厚生経済学の観点から言えば、温暖化対策の優先順位は下位になり、途上国に対する医療やその他の政策が重要となる。当たり前のことだが、お金は有限である。その使い道は限られている。温暖化対策に回した分のしわ寄せが、どこかででるのは必然のことだ。
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