社会学における科学の誤用
「コントやミルが……、進歩は無条件的あるいは絶対的な趨勢であり、その趨勢は人間性の諸法則に還元しうる、という(間違った)主張(をした)」
(ポパー『歴史主義の貧困』中央公論社、p130)
趨勢を科学法則としてとらえることは、今日に至るまで社会学が持つ病理の一つである。社会学は要素還元論によって人間を単純化しとらえ、ハイエクの言う「設計主義的合理主義」に基づき人工国家の建設を企てる。マルクスはその最も典型的な例である。
政教分離は近代国家を形成する上で重要な役割を果たしてきた。市場は文明社会が発展する過程において自然的に成長してきた制度(自生的秩序)である。一方、マックス・ヴェーバーは資本主義の発展を宗教と結びつけてとらえようとした。しかし、プロテスタンティズムの宗教倫理は市場経済の発展と全く無関係でありむしろ逆に働く。「たとえプロテスタンティズムが資本主義における十分条件であっても、必要条件とは限らない。
[マンドヴィル「蜂の寓話」(訳者・上田辰之助による解説)]「それは十八世紀初頭のイギリスでは、まだいっさいの欲望を悪徳として警戒していたキリスト教論理の余勢が社会の一部に残っていたことを物語るものである。しかもその論理がすでに経済時代の要求との間にいちじるしい食い違いを生じて、形式は別として実質のうえでは立場を失っていたところに『蜂の寓話』の訴えがあったと見なければならない」(98頁)
[マンドヴィル「蜂の寓話」(訳者・上田辰之助による解説)]「清教徒の職業観は必ずしもヴェーバーの主張するように、予定の教理との結合によって独善的とさえみえる狭隘な財富中心主義に導いたと断言することは困難である。したがって、諸宗派の清教徒の経済思想を無差別に予定の教理に関係させて、これを資本主義精神の酵母とみなすのは無理のように思われる」(125頁)
「誰かが支出しない限り、他の誰かの所得は生じない」(マンドヴィル)